長十郎梨が発祥地の川崎から消えようとしている。最盛期の1960年代は、川崎市内のナシ畑の半分以上で生産されていたが、現在は1%にも満たないという。わずかに残る木は老木が多く、保存は難しい。高齢化が進む生産者からは「さみしいが潮時かもしれない」との声が上がっている。
大型トラックが行き来する府中街道から南西に100メートル。同市多摩区生田の「太田農園」のナシ畑は、住宅街の一角で喧噪(けんそう)から逃れるように広がっている。明治時代から続くナシ農家。かつて周囲にあった畑は姿を消し、マンションや駐車場が隣接する。この農園も数年前に畑を半分に縮小した。
約100本ある樹木のうち長十郎は26本。樹齢は100年に及ぶ。経営者の太田嘉治さん(77)は「自分と同じ、おじいちゃんみたいな木なんですわ」とさみしそうにほほ笑む。曾祖父が川崎区から手車で運んできたという木々は、いずれもやせ細っていた。
長十郎梨は1893年、川崎区大師河原のナシ農家で新種として発見された。病気に強く多くの実を付けることから、一時は全国のナシ栽培面積の8割を占めたという。しかし、新たな品種として、より甘みや水分の多い二十世紀、幸水や豊水が誕生し、生産数は激減。市は「生産樹木は限りなく少ない。あっても個人で作っている程度」と現状を説明する。
【カナロコ】
梨といったら、昔は長十郎だったような気がします。
今はたくさんの種類があるので、長十郎を選んで買うことは少なくなってしまいましたが、
発祥の土地になくなるのは、寂しいですよね!
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